赤ちゃんが生まれた日 2005/1/5


5:55 すっきりと目覚める。

6:05 破水したかもしれない・・・と告げられる。なんのことだかよくわからんが、奥さんの姉ちゃんもそうだったとのこと。さすが姉妹だ。

7:00 下手したら入院だから・・・とのことで、ごみ掃除&荷物をまとめて、いつものように僕の出勤のため、駅まで15分の道のりを平気で運転する妊婦。

11:00 病院に行っているはずだが、連絡がないので、携帯に電話してみるがでない。不安に。

11:30 とりあえず、一緒に病院に行っているはずの姉ちゃんに電話。するとやはり入院しているとのこと。ただ、この時点では、何時の出産なのか不明。

12:20-13:05 奥さんから電話。意外と元気そう。ただ、お腹痛いとときおり唸るが。病院に行くべきか、そのまま勤務すべきか悩むが、会社の同僚たちは、行くべきでは?と進められる。やはりそうするか。焼肉万歳で日替わり弁当を食べる。まあまあうまい。ただ時間がかかりすぎ、昼休みは12:45までなのに。時間がなく、コーヒーが飲めない!熱いコーヒーを流し込む。少し残したが。

13:10 上司に報告。「生まれそうなんで、帰ります」すると、「いいよ。帰って」「俺は行かなくていいのか?」などなどの暖かい言葉。背に受けつつ、退社。

13:15-13:25 なかなかバスが来ない。ようやく来たバスに乗り、バスの車中で、「ヨドバシカメラでHDD買ってから病院に行く」とメール。

13:33 奥さんから、「早く来い」とのメール。なんとなく気が引けるので、ヨドバシにはよらず、普通電車に乗る。車内では朝に引き続き、ER(アメリカのTVドラマ)を鑑賞。出産の日に見る番組ではない?

14:15-14:25 赤間駅に到着。病院の名前を聞くために、奥さんへ電話。病院の名前と奥さんの状態を確認し、タクシーへ。ポイントを集めている西鉄タクシーもあったが、先頭に止まっていた、宗像グリーンタクシーに乗り込む。住宅地をぐりぐり走って、気づくと病院だった。降りる際に領収書を請求、運転手さんから、「それ(領収書)に電話番号が書いてあるから、次回からご利用を。」とのこと。西鉄タクシーのポイントをためてるんだってば。

14:25 病院に到着。受付の看護婦さんに病室を尋ねる。二階の八号室。きれいな個室だ(あたりまえ?)。しかし、さすがの奥さんも痛がっている。それに、お腹には赤ちゃんの心音などのグラフを取る機械がつながれ、モニターされている。5分間隔ぐらいでひどく痛がるが、何もできるわけもなく。ただ、うろうろ。そのうち、お茶を要求されるので、お茶を口元まで持っていくという大役(?)を仰せつかる。これを15分感覚で。

14:40ごろ 病院(あたりまえだけど)することがない。病院のパンフレット(入院の手引き?)みたいな書類を熟読する。この中に、赤ちゃんの聴力検査の勧めがあり、朝からERを見ている僕は、すぐに実施を決意(ERではベントン先生の子供が聴力がなく、手話で話している)。

15:30ごろ 僕の母親が到着。やはり、何もすることがなく、また奥さんも気を使うため、遠慮しつつお見舞い。途中、何か必要なものは?と問われるが、特になく。ただ、寝た姿勢ではお茶が飲みにくそうなので、ストローを頼む。母親がストローのみ(!)を購入して戻ってくる。いやぁ落ち着かない。すぐに、気を使わせては悪いからと、病室を出て行く。何かあれば電話してね・・・と言い残し。

16:30ごろ あいかわらず痛がる奥さん。えらく迫力のある看護婦さんが来て、「モニターはずしましょうね。」とあっさり外していく。いいの?と思いつつ、しかし、楽になったわけでもないようだ。でも、腰が痛い、起き上がりたい、という彼女の願いはかなったようだ。

16:55 今度はちょっとベテランの看護婦(先生?)がきた。陣痛は?感覚は?との質問に、痛がりながらも答える奥さん。えらいぞ。すると、すぐにベテラン看護婦(べ様と略)が「診察しましょ」とのこと。また「旦那さんは出て行ってください。」といわれたので、やっとおんもに出られる!と喜びつつ、ジャケットとコートを取り出す。するとべ様が「5分ぐらいしたら呼びますから。」じゃ、出られないじゃない。と隣の食堂へ移動し、退室。

17:00 奥さんから電話。「分娩室に入る。」とのこと。急展開。まだまだかかると思っていたのに。すぐに姉ちゃんに電話するが、話中。そこで、奥さんの実家に電話。すると姉ちゃんが出たため、伝える。その後、母親にも電話。

17:05 奥さんがふらふらと病室から分娩室へ歩いていく。先に出てきたべ様が、「もう7センチぐらい開いてますよ。」とのこと。7センチってそんなに具体的に言われても、それがどんな状況なのか、まったくつかめていないんですけど。新米とーちゃんは焦る。どーすればいいの?

17:10ごろ 暇だが仕事はできないし。ふと気づいて、この状況をメモることにする。これがこの文章。とりあえず、何かをしてないと、なんだか落ち着かないだけなんだけどね。

17:45 姉ちゃん、姉ちゃんのだんな。奥さんのとーちゃん、かーちゃん。それから、姉ちゃんの娘である、姪っ子二人が大挙して病室へ。決して狭くない部屋が狭くなる。空気薄いし。しかし、相変わらず姪っ子二人は元気だ。こういうのが、うちの家にもくるのか・・・すげー不安。また、二人ともすんごくかわいいけど、うちの子がそうなるのかも、不安。

18:45ごろ 姉ちゃんがナースセンター(分娩室か?)で聞いてきた情報だと、「今日と明日の境目辺りか、早くても今晩10時ごろ。」の出産らしい。そこで、僕を除く全員で食事に行くことに。ぼくは弁当の購入を頼む。何系?と聞かれたので、チキン南蛮弁当が頭にあった僕は、「鳥系」と回答。チキン南蛮はくるのか、それともから揚げ弁当なのか、それとも・・・、しかし胃が痛い。腹が減ったからか、それとも純粋に心配なのか。自分にもよくわからない感覚だ。

19:00ごろ 最近にはない、モーレツな胃の痛みと緊張感の中で、このメモを書いている。父親になるってのは、こんな感覚なのか。それとも、僕が特別なのか。不安は募るが、開き直りつつ、キーを打っていく。TVでは、さんま・玉緒のあんたの夢かなえたろかSPが放送中。とりあえず、夢はいいですから、無事に生まれてほしい。五体満足で。

19:10ごろ TVでは、ジュゴンと泳いでいるカップルが。うちの娘は羊水を泳いでいるのだろうか。あーしかし、胃が痛い。

20:00ごろ おとうさんとおかあさんが、お弁当を携えて戻ってきた。想像していたチキン南蛮などではなく、豪華なとんかつ&エビフライ&etc...弁当だった。ダイエットも忘れ、食べる食べる。胃の痛みも忘れ。

21:10ごろ 生まれた!とのこと。声が聞こえたと思ったら・・・。母親とおかあさんが分娩室前で待っていて看護婦さんから聞いたとのこと。詳細な話はあとから、らしいが。後からって、いつ?その子の父親は、そーとー待ってるつーの!

21:20すぎ ついに看護婦さんから入室の指示。IXY-DVを携え、昭和のおふくろのような割烹着を着て、LDR-2との札のある部屋へ。そこには、大きな丸いピンクのベッド(というには形がヘン)と、その隣には上にサンライトが輝く台。ピンクのほうに寝ているのが奥さんで、台の上にいる赤ちゃんが僕のムスメちゃんらしい。足、2本。手、2本。目、鼻、口・・・泣いてる!泣けるんだこいつ。とりあえず五体満足。そこで初めてじっくり顔を見てみる・・・と、ここで初めてIXYのスイッチ・・・がどこにあるの?あれ、僕は舞い上がってる?奥さんに操作を聞いて、とりあえず録画。そこからじっくり確認。目と目の間が離れてる・・・そう?そうかな。早くも贔屓目だ。親ばかってヤツか。そこで初めて、奥さんからこの子が8時45分ごろに生まれたんだと聞く。だから、僕のムスメちゃんの誕生は2005年1月5日20時45分ごろだ。

22:10ごろ 咳が出るからと、一足先に部屋を出ていたおとうさんの後を追って、僕も分娩室LDR-2を退室。8号室に戻る。そこで、奥さんの友人3人にメールで生まれたことを知らせ、部屋で奥さんと両母親(奥さんも含めトリプル母親?)を待つことに。そのうち、姉ちゃんから電話。生まれたことを伝えると、自分も病院に向かうとのこと。入れるのか?そのうち、奥さんの友人からもお祝いメールが届く。「安産だったね」とのメールに、はたしてそうなのか、と問うてみたりして。でも自分が産んだわけじゃないので、その”痛み”はわからないんだけど。奥さんは二度と嫌だって言ってたぞ。僕は金銭的に不安だが。フリーランサーは計算できねーし。